大切なのは供給力の確保。自ら土木建設業を衰退させた日本

日本の土木建設業は、1998年の緊縮財政を皮切りに衰退の道を歩んできました。

1991年にバブルが崩壊して民間企業の投資が激減する中、日本の経済を支えてきたのが公共事業を請け負う土木建設業でした。

しかし政府支出の拡大を危惧した財務省と政治家たちは、経済成長より政府支出の縮小による財政健全化の道を選んだのです。

回復しかけていた日本経済は再び不況に陥り、民間と政府の投資が両方落ち込むことで多くの土木建設業者は廃業に追い込まれたのです。

建設投資、許可業者数及び就業者数の推移
建設投資、許可業者数及び就業者数の推移 出典:国土交通省

公共事業の削減に反対しなかった日本人

残念なことに当時の日本人は、不況に苦しむ民間をよそに政府から仕事をもらえる土木建設業者に不満を募らせ、メディアのいわゆる「無駄な公共事業」たたきも相まり、公共事業削減に異論がでない状況でした。

緊縮財政と構造改革政策橋本内閣から小泉内閣と引き継がれ、当然のごとく土木建設業は衰退していきました。

構造改革政策を裏付けたのは、「官から民へ」のスローガンで代表される「小さな政府」を理想とする考え方です。

経済は国の介入をできるだけ排除し、民間が主導することで健全に成長するという新自由主義と呼ばれる経済政策がとられたのです。

しかし、規制をなくし、より自由な取引を推進する新自由主義は、需要が供給能力を上回るインフレ時に有効な手段なのです。

規制をなくすことで業界を超えて市場に参入する企業が増えることで、供給能力が高まるからです。

デフレを悪化させる新自由主義政策

構造改革が始まった1990年代後半は、景気の回復傾向はみえはじめていましたが、まだ道半ばだったのです。

そんな中実行された構造改革に伴う緊縮財政により、再び需要が低迷するという不況に突入し、さらにデフレ傾向の中規制改革を進めることで規制に守られていた業界で競争が激化し、さらにデフレ圧力になったのです。

しかし「競争はいいことだ」、「競争により淘汰されるのはあたりまえ」という新自由主義の考えのもと、構造改革は進められました。

業種柄、民間だけでなく政府からの仕事の比率が高かった土木建築業は大打撃を受けることになります。

「政府支出を減らすから、これからは自由競争でがんばって」と言われても、急にIT業界に参入できるほどあまくありません。

結果、多くの土木建設業者が倒産に追い込まれました。

失われた10年が20年に延長

バブル崩壊後の失われた10年を経て、次の10年は構造改革の強行によるさらなる失われた10年になったのです。

そして構造改革路線に懐疑的になりはじめた国民は、新たに金融政策と財政政策のパッケージを掲げるアベノミクスに期待して、安倍首相を迎え入れることになりました。

しかし第二次安倍政権発足5年を経た今、積極的な金融政策は実践していますが、積極的な財政政策を実践しているとは決して言えない状況です。

10年間の緊縮財政で、日本の土木建設業界はガタガタに傷んでいます。

2011年の東日本大震災のがれき処理もままならない程供給能力が落ちていたのです。

近年では、業者が足りないため除雪作業が遅れるなどの報道も目にします。

さらに年々大地震の発生確率は高まり、2012年の笹子トンネルの崩落事故のようなインフラ老朽化による事故の危険性も危惧されています。

高度成長期の1960年代に整備したインフラは、50年を経て修復作業が必要な状態です。

しかし以上述べてきた理由や生産年齢人口の現象などにより、日本では土木建設業を筆頭に人手不足状態です。

これからの需要増加が見込まれる公共事業や災害対策に対応できるだけの、十分な供給力があるとは思えません。

最悪の場合、外国に支援要求するという先進国としては屈辱的な状況も考えられます。

この状況を招いたのは政治家や官僚だけの責任ではなく、ぼくたちの「なんとなく公共事業に抱くネガティブなイメージ」が原因なのです。

いまこそ、インフラや公共事業の大切さを見直すときなのです。

まとめ

  • 1998年以降の緊縮財政による公共事業の削減で、大量の土木建設業者が倒産
  • 新自由主義の経済政策に国民は賛成しており、公共投資の削減に異論は少なかった
  • 新自由主義が進める構造改革で規制緩和が進み、デフレを加速
  • 新自由主義のアンチテーゼで誕生した安倍政権だが、アベノミクス第二の矢である積極的な財政政策が未実施
  • 今後起きる可能性の高い大地震やインフラ老朽化に対応できるだけの供給力不足が深刻化