現代人はどうでもいい仕事に追われている?「労働とは何か?」が問われようとしている

東洋経済オンラインに、とても興味深い記事が掲載されています。

社会に貢献している人ほど賃金が低い理不尽 無意味な「クソ仕事」ほど賃金が高い

世界中で話題になっているのが、グレーバーの新刊書”Bullshit Jobs: A Theory(どうでもいい仕事:その理論)”である。グレーバーは、これに先立つ2013年に、”On the Phenomenon of Bullshit Jobs(どうでもいい仕事という現象)”というエッセイを発表して大評判になったが、本書はそれを加筆して書籍化したものである。

タイトルは刺激的ですが、ぼくが普段から考えてきたことを英国人の著名な社会人類学者デヴィッド・グレーバーの著書を通じて紐解いてくれており、改めて「クソ仕事」について考えるきっかけになっています。ちなみに、このデヴィッド・グレーバーという名前はこの記事で初めて知りました。記事で紹介されている『負債論 貨幣と暴力の5000年』と『Bullshit Jobs: A Theory(どうでもいい仕事:その理論)』は読んでみたいと思いますが、前著は848ページ定価6000円の大著、後著は未翻訳のようです。死ぬまでには読めるかな。。。

テクノロジーが無意味な仕事を生み出してきた?

ジョン・メイナード・ケインズは、「イギリスやアメリカのような先進国では、テクノロジーの進化によって20世紀末までに週15時間労働が実現しているだろう」と予言したといいます。しかし21世紀になってもそのような労働環境にはなっておらず、この予言は外れたとされています。その理由をデヴィッド・グレーバーは、「テクノロジーがむしろ無意味な仕事を作り出す方向に使われたからだ」と説明します。

高名な社会人類学者の論理を卑近な実例に落とし込むのは気が引けますが、ぼくが10年間勤めた地元の電子機器メーカーで体験したことと合致するので、その説明は深く納得のいくものでした。そのメーカーは多くの中小企業がそうであるように、高度成長期に創業し、創業者の親族が2代目を継いでいました。社長の仕事は経営判断など大きな責任を伴うもので大変なのは理解しますが、この社長の仕事の細かさには辟易しました。

社長は、全社員の全メールを必ずチェックするのを日課としていました。メールを利用していたのは正社員50名程度だったので可能なのでしょうが、毎日ほとんどの時間をパソコンの前で過ごし、マウスをカチカチをする姿は異様でした。それは海外の出張先でも変わらず、社長の出張に同行するときは社長のパソコン設定に多くの時間をとられたのがいまでも嫌な思い出です。

その会社の社員には、末端の製造員にまでPCが支給されていました。資材の入荷日や製品の完成日などを共有ファイルで管理していたのですが、そのスケジュールはプリントアウトして掲示板に張り出されます。そして完了した事項には共有データ、紙データ共チェックします。製造計画から資材の在庫管理まで、あらゆる手順がこのような二重処理になっていますからたまりません。それでいて毎年社内の目標は、「作業効率20%向上」ですから、達成できるわけありません。むしろPCなど支給しない方が、効率的でミスの少ない作業ができていたはずです。

誰が本当に意味のある仕事をしているのか?

英国人のグレーバーが、無意味な仕事が生まれる理由を以下の通り結論付けたのは意外でした。

その仕事がどれだけ無意味だとしても、規律を守って長時間働くこと自体が自らを価値づけるのだという現代の労働倫理観は、労働にはそもそも宗教的な意味があるというピューリタンの精神に由来すると考えている。そして、このメンタルな縛りを、現代人の「潜在意識の奥底に組み込まれた暴力」であると言う。

つまり、「規律を守って長時間働くこと自体」に価値があるというのです。そのような労働に対する価値観は、日本だけではなかったのです。

本来、仕事とはシンプルなはずです。例えばメーカーであれば、注文を受けて作って売るだけです。そのプロセスにおいてはどうしても省けないさまざまな作業があるはずですが、生産性を高めるためできるだけ仕事を簡素化しようとするはずです。しかし前述した会社の製造部に在籍していたときは、結果を出せばいいというものではありませんでした。

上司の性格にも寄ると思うのですが、その部署で一番声の大きかったのが課長で、その上司である部長も部下も、課長の相手をすると声の大きさで押し切られてしまうため、ほとんど課長の独断で物事が決まっていました。その課長はルール作りが大好きで、思い付きで次々とルールを決めてしまうため、前述した二重処理がまかり通るという状況になっていました。自分の決めたかわいいルールです。製造計画通りの結果を出していたとしても、ルール通りの手順を踏んでいないとブチ切れるわけです。社員たちは無駄な手順を認識しながら、非効率に仕事を進めていたのです。

結構そんな会社あると思います。声が大きいと下からも上からも敬遠され、面倒くさいから出世でもさせとくかという雰囲気になり、駄目な組織になってしまいます。そのような人が上司になると組織は私物化され、結果を求めるより自分好みの組織作りを優先させるため「無意味な仕事」が生まれるのです。

そのしわ寄せはパートなど、メーカーにとって不可欠な労働者にきます。ぼくの勤めていたメーカーでは、実際の製造はパートか内職が担っていました。パートの待遇は、長年働いてもほぼ最低賃金から上がることはなく、内職に至っては時給250円程度の単価設定です。社員たちが無駄な仕事をする非効率な組織で生産性の向上は望めず、意味のある仕事をしている人たちがいくら頑張ろうと賃金上昇などありえなかったのです。

まとめ

グレーバーの言うように、世の中の過半数の仕事が無意味だとしたら、ぼくたちは今後どのように働くべきか考える必要があります。そういう意味では、「働き方改革」は良い機会になるかもしれません。ぼくの場合、サラリーマンに嫌気が差したのも前述したような無意味な仕事をする虚しさが一因です。いま従事している配送のパートはシンプルです。仕事があれば運ぶし、無ければネットをチェックしたり、自由に時間を使わせてもらっています。正社員をあえて避けることで、「規律を守って長時間働くこと自体」に価値を持たせる慣習から免れているのです。いずれにせよ、これまでのサラリーマンの常識が通用しない時代がこようとしています。「労働」の意味を、今一度考えてみてはいかがでしょうか。