自動運転車に期待すること。人による運転よりフェアで安全な車社会の実現

自動運転車実用化について、ネット上では賛否両論が繰り広げられています。賛成の理由としてはドライバー不足の解消や事故の軽減など、反対の理由としては事故が起きたときの責任の所在の特定が困難なことや、道路法や交通インフラ整備が間に合っていないことなどがあげられています。また、自動運転になると運転の「楽しみ」が味わえなくなるとの意見もあり実用化までに紆余曲折ありそうですが、個人的には一刻も早い実用化を期待しています。

出典:PAKUTAS

見たくない路上で繰り返される利己心のぶつかりあい

仕事で2トントラックを運転していますが、運転自体が楽しいと思ったことはありません。長時間のパソコン操作や狭い空間で地道な繰り返し作業は苦手だし、営業活動もストレスがたまります。消去法で選んだのがいまの仕事です。休日も移動の手段として仕方なく車を使いますが、運転することを目的とした外出は昔からしたいと思ったことはありません。

その理由はとてもナイーブなもので、運転するとどうしても人の嫌な面を見てしまうからです。ウインカーや早めのライト点灯など、リスクを軽減するためのちょっとしたルールさえ守れない人たち、片側一車線の対向車が右折待ちのため渋滞していても、必死に車間距離を詰めて意地でも譲らない人たちなど。ちょっとしたアクセル操作でスピードを緩めれば行かせてあげれるのに、自分の時間は1秒でも人のために使えないと考えているのか、もしくは単に周りが見えていないだけなのか理解に苦しみますが、どうしてもそんなせかせかした車社会に馴染むことができません。

一方でスマートに譲れる運転ができている車もいますが、感覚的には10台に1台程度です。かくいうぼくの運転だって、周りからはよくみられていないかもしれません。約20年前は未熟な運転のため人身事故を起こしたこともありますし、無理やり割り込んできた車に対して抗議の意味で車間距離を詰めるような運転もしたことがあります。いまはどんな理不尽なことをされてもそんなことはしませんが、それは意識的に「他人に対して無関心」を装うことで可能になっているに過ぎず、一種の利己的な行為なのかもしれません。

AIの判断に任せることで公平な社会を実現

事故のほとんどが、人の判断ミスによるものです。人の判断は、その人の性格や体調、感情、年齢、その場の状況などさまざまな要素により左右されます。例えば慎重な人はわき道から優先道路に進入する際、自分の目で左右を確かめ、車がきていないことをしっかりと確認してから進入を開始します。一方で軽率な人や急いでいる人は、「まあ行けるだろう」との思い込みや、車がきていても少しの隙間があれば無理にでも進入しようとします。しかもいまの車社会は、慎重に運転するよりリスクが高まっても多少無理な運転をした方が早く目的地に着けるというアンフェアなものになっているのです。

フェアな車社会の実現のためには、自動運転車は不可欠な存在です。先ほどの例でいうと、自動運転車はレーダーやカメラで左右の車の存在を認識し、安全に進入できるタイミングでない限り進入を開始しません。その判断は一定で、人のように個体別にばらつきがありません。あらゆる場面でAIが一定の判断を下すため、信号や混み具合などの要素以外で到着時間に差がでないフェアな車社会が実現されます。

本来であれば、譲ることもあれば譲られることもある「お互い様」の精神をドライバーが持っていればフェアで落ち着いた車社会が実現できるのですが、ここまで利己的な運転が横行してしまってはそれも無理な話です。雨や日没後のヘッドライト、曲がる30メートル前からのウィンカー点灯という基本的なルールさえ守れないほど日本人ドライバーは劣化してしまっています。そのため、平成32年度以降に発売する新型車からヘッドライト自動点灯が義務化されます。自動運転車が思いやりのある、ルールに忠実な運転を実現する。そんな時代がこようとしているのです。

まとめ

自動運転の実用化が進む中、自動ブレーキや車線・車間距離キープなどの運転アシスト機能が先行して実用化されています。人の判断よりAIの判断の方が優れ、リスクを低減させるという事実は情けないのですが、それだけテクノロジーが進歩したのだと前向きに捉えましょう。平成29年には約50万件の交通事故が発生し、約3500人が亡くなっています。年々減少傾向にあるとはいえ、交通事故による社会的損失は莫大で、一刻も早く対処すべき社会問題なのです。