グローバリズムや規制緩和は既定路線ではない。自ら貧困化の道を選んでいる日本

2018年の7月の豪雨で、近所の通学路が崩れました。

1か月後には応急処置として復旧しましたが、9月の台風に伴う大雨でまた同じように崩れてしまいました。応急処置として簡易的に直しただけだったため、本格的な復旧より耐久性に劣っていたといいます。

再度復旧工事がいつ始まるのかは未定です。広島県では豪雨であらゆる箇所に被害が出ており、予算がつかなかったり土木業者が不足していたりで、復旧作業がスムーズに行われていません。通学路であり、かつ集落へつながる需要な道路であっても崩れたまま放置されているこの状況は、日本はすでに先進国ではなくなったのではないかと思わせるものです。

自ら生産力を削ってきた日本

復旧工事がスムーズに進まないのは、対応できる業者のキャパを超える仕事量があるからだといいます。入札に出しても、手を挙げる業者がいないケースもあるという新聞報道もあります。その理由として人手不足があげられており確かに一因ではありますが、災害大国の日本で土木建設業を廃業に追い込む政策が進められてきたという事実を忘れてはいけませんし、それを後押ししてきたメディアは反省すべきではないでしょうか。

建設投資は平成4年(1992年)をピークに平成22年まで右肩下がりで、近年では回復傾向にありますがピークより約42%減(平成27年時)と大きく下げたままです。

建設投資、許可業者数及び就業者数の推移
建設投資、許可業者数及び就業者数の推移(クリックで拡大) 出典:国土交通省

その間建設業者は21%、建設業就業者数は約27%も減ってしまったのです。1992年といえばバブル崩壊直後で、民間投資が極度に減り始めた時期です。その落ち込みを補うために、政府は積極的に公共事業でカバーする必要があったのですが、ご存知のように、そのころから膨らむ財政赤字を危険視した財政破綻論が幅を利かせるようになり、メディアと国民の「無駄な公共事業やめろ」の声が大きくなります。

国民の声を反映した増税、政府支出を削る緊縮財政路線が本格化し、御覧のように建設業者数は激減していきます。もし、政府による建設投資をここまで減らさなければ、業者の減少傾向に歯止めをかけることができたはずです。そうしてこなかったことが、今年のような頻発する自然災害への対応ができないという馬鹿馬鹿しい状況を招いたことは確実でしょう。

既に子どもたちへのツケは発生している

公共事業が削減されてきたのは、「子どもたちの借金というツケを残さないため」と説明されてきました。しかし実態は、公共事業を削減することで災害による被害に対応できる業者が減り、通学路が崩れても数カ月以上放置されてしまう状況を招いてしまっているのです。子どもたちへツケを残すような政策を決定、または支持してきた為政者、有権者は反省すべきです。

子どもたちへのツケを生じさせているのは、間違った財政破綻論だけではありません。90年代から本格化した新自由主義に基づくグローバリズム、規制緩和もそうです。日本のGDPを見れば明らかですが、90年代からほとんど成長できないとう状況が続いています。新自由主義者たちのいう、いわゆる「岩盤規制」で企業が守らていた80年代まで堅調に経済成長していた日本が、新自由主義的政策に舵をきってから成長が鈍化した事実から、それが間違いだったことは明らかです。

反グローバリズムの動きは、欧州や米国で既に出始めています。トランプ大統領が「保護主義」だとして批判されていますが、別にグローバリズムを全否定しているわけではありません。国民を幸福にしないグローバリズムを否定しているだけで、「常にグローバリズムが正しい」というイデオロギーは受け入れられないとしているだけです。

一方で、イデオロギーとしてのグローバリズムを無批判に受け入れ続けているのが日本です。確かに日本の大企業はグローバリズムで潤っています。しかしその恩恵を受けているのは一部の人に限られ、国民全体が豊かになる方向に進んでいるわけではありません。むしろ、人手不足なのに賃金上昇しないというゆがんだ雇用環境を作りだしている要因になっているのではないでしょうか?

まとめ

今回の記事は、ホリエモンのある大学での卒業公演の動画を見たときに感じたことを書きました。彼は壇上で、「グローバリズム」だからきみたちはこれまでの価値観では生きていけない、といいます。動画のコメントは概ねホリエモンに好意的です。しかしぼくは、「いやいや、グローバリズムと規制緩和を推進してそんな世の中にしてきたのは誰だよ」と突っ込みたくなりました。これまで自分たちの間違った信念で世の中を誘導し、若者に対し「じゃ、後は頑張れよ」と無責任に言っているだけに聞こえます。いつまで日本はこの路線を突き進む気なのでしょうか。そろそろ何が間違っていたのか、冷静に考えるときではないでしょうか。