「嫌われる勇気」は必要だけど、それが世の中を良くする場合に限ります

ホリエモンが相変わらず炎上発言で注目を集めています。

ホリエモン、ゴーン前会長の容疑否認に「あの状況ですげぇ胆力だな」

「ホリエモン」こと実業家の堀江貴文氏(46)が25日、ツイッターを更新。有価証券報告書に役員報酬を少なく記載したとして、金融商品取引法違反の疑いで逮捕された日産自動車の前代表取締役会長カルロス・ゴーン容疑者(64)が、東京地検特捜部の調べに容疑を否認していることについて、「あの状況ですげぇ胆力だな。不当な圧力には徹底抗戦するしかない」とつづった。

自身も逮捕されたことがあり、東京地検特捜部の調査を「不当な圧力」と断言する彼には違和感を覚えますが、同じ経験をしたホリエモンだからこそ理解できることがあるのでしょう。ベルサイユ宮殿での挙式など報道を見る限り「牢獄にぶち込んで欲しい」と思いますが、それでは隣の国と同じ人治国家となってしまいますので、法治国家らしく正当な法で裁いてもらいたいものです。

photo:Laurent Campus

ホリエモンってどんな人?

ぼくも例に漏れずホリエモンの炎上商法に乗り、彼の発言に注目をしています。最近はYouTubeにアップされているホリエモンや怪しげなIT社長たちの動画を観ているのですが、意外にもぼくと同じような価値観を持っていたり、親近感が湧くような発言をしています。

ホリエモンは、「拝金主義」との一般的なイメージがあると思います。ぼくもいくつかの動画を観た後でもそのイメージを払拭できたわけではありませんが、別の一面も見えてきました。一言でいえば、「日本の慣習に捉われ悩む多くの人たちを、別に価値観を教えて解放してあげたい」という思いがあることです。

「拝金主義」以外にも、ホリエモンには「利己主義」というイメージがあると思います。イメージだけでなく、『自分のことだけ考える。 無駄なものにふりまわされないメンタル術』という著書があるように、周りにどう思われようと自分のしたいことだけをするという生き方を実践しているように思います。そんな自己中心的な一面がある一方で、悩んでいる人がいたら助けたいという欲求もあることが、彼の人間像を分かりにくくしているように感じます。

嫌われることは悪いことではない?

炎上を度々起こす姿勢は、自ら嫌われようとしているのではと感じさせるほどです。動画の中でも指摘されていましたが、その姿は、『嫌われる勇気』で有名な近年注目されている心理学者アドラーの教えと重なります。本人は意識していないそうですが、自然とホリエモンとアドラーの結論が同じところに行きついたといいます。

なぜ両者が、あえて「嫌われる」必要があると主張するのかといえば、それが「自由に生きている証拠だ」といいます。現代人の悩みは、自由に生きられないという不自由さからきています。それは昔からの慣習であったり、周りの人たちからの束縛であったり、何かしらの個人の自由を制限するものへの配慮があるからです。自分の判断を元に自由に生きている人は、「嫌われる」覚悟で何でも発言できますが、ほとんどの人がそうはいきません。

例えば、「こうしたらもっと良くなる」と思っても、昔ながらの慣習を変えようとすると周りからの抵抗は必ず付きまといます。また、教育熱心な両親を持つ子どもは、自分のやりたいことより勉強を強制されることが多く、それに抵抗する術も持たないでしょう。本人たちにも周りから認められたいという「承認欲求」があるため、ますます自由な選択ができなくなるといいます。

確かに現代人は、自分の自由な選択で生きている人は稀なのかもしれません。その壁を突き破っている代表がホリエモンであるとの主張は、彼のこれまでの経歴を見れば納得できるものです。ホリエモンを毛嫌いするのではなく、彼から学べるところはまだまだありそうです。

まとめ

ホリエモンからも学べるところがあることは認めますが、先日のタクシーの運転手との口論をライブ中継するよな神経は全く理解できません。恥ずかしげもなく、リストラや工場閉鎖で確保した利益を使い、恥じらいもなくベルサイユ宮殿で挙式をするカルロスゴーン容疑者とはレベルは違いますが、正直同じような胡散臭さはぬぐえません。ある面では完全に一致するホリエモンとアドラーの主張ですが、社会に与える影響の善悪で考えれば、ホリエモンのそれはかなり劣るように感じます。ホリエモンの影響を受けた小ホリエモンが溢れる未来は、ちょっと恐ろしいものがありますから。