「勤労は尊い」時代は終わった?個人主義が世界を良い方向へ導く

最近、自分の価値感がグラグラ揺れ動いています。遅ればせながら、ひろゆき(西村博之)、西野亮廣、堀江貴文、落合陽一などの発信を追いかけているのが原因です。それぞれ主義主張は違いますが、彼らに共通するのが確固たる価値観を持っていることで、その価値観を貫くためには周りに何と言われようと、嫌われようと突き進む力があることです。

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あなたは自分の人生を生きているか?

胡散臭い自己啓発本のタイトルのようですが、「もちろん」と自信を持って答えられる人がどれだけいるでしょう?何となく「いい学校」を出て「いい会社」に入り、「いい家庭」を持つことが人生の目的と考えている人は、自分の価値観を疑った方が良いかもしれません。

それが「いい」かどうかを決めているのは世間というぼんやりとしたもので、あなた自身が「いい」と判断しているわけではありません。それでも「いい」とされる組織に属していると周りからは羨ましがられ、心地よく人生を送ることができるでしょう。でも、それが本当に自分の人生を生きていると言えるのでしょうか?

多くの人が、他人から認められたいという承認欲求から逃れられません。子どものときは親や先生、友だちから、大人になってからは上司や恋人、妻、義父母など周りの期待に応えるため一生懸命勉強をし、働いていることでしょう。「自分の幸せは周りの人を幸せにすること」と割り切って、承認欲求に応える生き方もいいでしょう。ぼくが一時期契約社員として属していた、加工精度の高さで世界的に有名な工作機械を作っていたメーカーの先輩は、「この会社の設計部に属していることが自慢」と幸せそうな顔をしていました。

しかし、承認欲求から完全に脱しているわけではないのでしょうが、自己の追求にために突き進んでいるのが冒頭の4人であり、最近注目されているその界隈の人たちです。その自己中心的と思わせる態度が周りの人たちに誤解を与えるため多数のアンチも存在するのでしょうが、彼らにとって周りの声はノイズでしかないのでしょう。

「勤労が尊い」の時代は終わった?

4人の中でも、ひろゆき氏のぶっ飛び方にはたまげました。彼のことは「2チャンネル」の開設者としか認識していませんでしたが、たまたま観た動画で人物像に興味が湧いてきました。Wikipediaで確認する限り、パリ在住で、複数の会社の取締役やITサービスの管理人をしているようです。

また、大学在学中に原付バイクで交通事故に遭い、その慰謝料で米国アーカンソー州のアーカンソー中央大学 へ1年間留学したとか、複数の民事訴訟における敗訴と損害賠償金額5億円以上の未払いがあるという記述もあり、何やら危険な香りのする人物です。賠償金の債務が約5億円に上ると報道され、質問を受けた報道陣に対しては「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」、「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と、支払いの意思がないことを明らかにした、といいます。

ぼくが観た動画で彼は、「働きたくなかったら働かなくていいじゃん。生活保護があるんだし」と発言していました。確かに日本では既に、働かなくても「働けない理由」があれば(でっちあげれば)生活保護で生活できます。しかし、やはりそこで邪魔になるの「承認欲求」で、よほど正当な理由がない限り、ひろゆき氏のように「周りからどう思われようとくそくらえ!」と考え、医療機関から診断書を作ってもらい、平気で生活保護を受け取ることは難しいのではないでしょうか。

どうしても日本人の感覚では「生活保護の不正受給は良くない」と考えてしまいますが、「不正受給」であろうがなかろうが、「それが通用する日本社会なら利用しないと損」という考え方もあると妙に納得してしまいました。納得はしても、ぼくがそうしたいとか、周りに勧めることはありません。しかし、それが広がればBIの導入に近づくという同氏の主張は、「それもありかな」と思えてしまいます。

これまで尊いとされてきた勤労ですが、デフレ下では働けば働くほどデフレが加速します。デフレ下では、有り余る生産品を消費する行動が重要になります。今は働かずに消費する人が不足しており、むしろ「勤労は尊い」との価値観のため低賃金でも一生懸命働き、自分たちの首を絞めているという状況になっているのです。

まとめ

彼らに共通しているのは、「これまでの価値観を捨て、個人の幸せを要求することで社会が良い方向に向かう」と信じていることだと思います。それも一理あると思いますが、落合氏を除き、国家間に欠けていのではと感じることもあります。働きたくなくても、誰かが道路や橋を造り、食料を生産する必要があります。個人の自由を追求し過ぎると、嫌な仕事は貧しい人や外国人にやらせればよいという考えにもつながります。彼らからは、もっとどのような「国家間」を持っているのかを聞きたいところです。