日本の文明って進歩しているのだろうか?普通じゃない「過剰に消費を控える」社会

経済成長が当たり前だった時代を過ごしたぼくらは、今のような将来を予測していたのでしょうか?「未来は今より明るくなる」と信じていたと思います。

テクノロジーは進化し、今では、一定条件下では自動運転が可能という昔からは夢のような技術も実用化されています。しかし実際は、車を買うにも予算的制約が大きく、便利な機能でもオプションから外して購入せざるを得ない人も多いはずです。

そのためブレーキとアクセルの踏み間違えを防ぐ機能を装備せず、建物に突っ込む事故も未だに起きています。果たして日本は、文明が進んだ先進国と呼べるのでしょうか?お金さえ余裕があれば、もっと安心して暮らせる社会になっていたはずです。

お金に余裕がなくなるのは当然です。20年以上ほとんど経済成長していないのですから。米国や中国までと言わないまでも、他国並みに年率2%でも経済成長できていたらもっと違う社会になっていたはずです。「貧すれば鈍する」という言葉の通り、「失われた20年」と呼ばれる期間で日本は成長できないばかりか、精神的に劣化してしまったのではないかと思えるほどです。

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個人的には、日本が経済成長できなくなったのは、「将来が不安で消費できない」と多くの人が感じていることが大きな理由だと思います。日々報道では、「国の借金1000兆超え」、「消費増税、社会保障費や公共事業の削減」と叫ばれていては、「このままじゃ日本ヤバイな」と思うのは当然です。その結果、「じゃあ消費を控え、貯金をしよう」となります。

そんな成長できない社会に、一石を投じるのがMMT(現代貨幣理論)です。 「国の借金1000兆超え」と政府、マスコミが主張し、それを信じてきた社会に「もっと借金しても問題ないよ」と提言しているわけですから、それが正しいと社会が認めればコペルニクス的大転換になります。

そもそもアメリカや日本をはじめ、MMTが注目される社会が異常なのかもしれません。それだけ、財政的制約を理由に社会が歪められてきた社会になっているからです。堅調に経済成長しているアメリカでさえ、皆保険制度がないため数千万人がまともに医療を受けられていないといわれています。

日本でもアメリカでも、「防災強化」「教育の充実」「社会保障の充実」を掲げても、「財源をどうする?」の一言でとん挫してしまうのが現実なのです。確かに供給力に限界があるため、無制限にサービスを提供することはできませんが、過度なインフレにならない程度に可能な限り供給力を活用する施策は可能なはずです。

そういう意味で、税収に制約されない政府支出が可能とするMMTは、先進国を中心に低インフレ時代の今、求められている概念なのかもしれません。

まとめ

しかし、MMTに対する主流派経済学や財務省の反応には異常さを感じます。「MMTは危険な考え方だ。日本には財政的余裕はないのだ」と毅然と反論していますが、要は「日本は今後、国民から税金をどんどん徴収しないと存続できないんだよ」と言ってるようなものです。彼らの言葉から、日本に希望を持てる若者が一人でも生まれるのでしょうか?「日本は希望に満ち、世界でも有数の恵まれた国(先人たちの積み重た供給力のおかげ)」が真実としたら、「日本の財政危機」を叫び続けてきた人たちは「売国奴」の誹りを免れることはできないでしょう。