少子化はお金で解決できるか?子育てに必要なのは時間とお金

本日は仕事を休んでいます。夏休みの小学校にて行われる、プール開放の当番日だったためです。しかし、昨日からの猛暑でプールは休みになりました。昨日の時点で中止は分かっていたのですが、わざわざ有給を取り消すのはもったいないので、そのまま休んでいます。

このように、特に春から夏にかけての子ども行事は多く、嫁さんばかりにも負担をかけるわけにはいかないので、できるだけこちらも参加するようにしています。気軽に仕事を休みたいため、自ら非正規の働き方を選んでるぐらいですから、我ながら良い父親だなあと思います。

非正規を選んでいる理由はそれだけでなく、翻訳やライティングの副業にも力を入れたいためです。「働き方改革」で副業を認める企業は増えてきましたが、ぼくが勤めてきた会社では一切認められていませんでした。それでも内密にやっていたのですが、好きな仕事ができる副業の方が忙しくなると、本業の仕事が嫌になってきます。そんなこんなで、今のような緩い働き方に落ち着いてきました。

嫁さんは今年の3月まで非正規で働いてきましたが、雇用先(保育所)からの要望で正規で働くことになりました。所得は増えてありがたいのですが、正規だと定時に帰れないのが当たり前らしく、ぼくが子どもたちの夕食を食べさせた後に帰ってきます。人の子どもを世話するのが忙しく、自分の子どもたちとの時間を減らさざるを得なくなるなんて皮肉なものです。しかし、これが日本では当たり前の風景なのです。普通に考えると、何かおかしいと思うはずですが。

そんな日本で、少子化になるのは当たり前かもしれません。独身で過ごす方が遥かに楽だからです。誰があえて苦労する人生を選ぶのでしょう。育児に自己犠牲はつきものです。お金も時間も子どものために使う覚悟がいります。その覚悟がないため子どもを作らないと選択することは、むしろ社会や生まれてくるはずだった子どものためにも良いことかもしれません。しかし、社会としては決して健全なことではありません。

「安心して子どもと育てれらる環境が整っていない社会が悪い」というと反発があるでしょう。「死ぬ気でやればなんでもできる」や「私たちはそれが当たり前だった」なんてクソバイスが飛んで切るに決まっています。しかし20年以上のゼロ成長が、社会を根本的に変えてしまったのです。今の若者に、子育てするだけの余裕(お金と時間)が足りないのです。ただ会社に居続けるだけで、毎年昇給する時代は終わりました。バブル期に20代だった人に聞くと、年4万円ほど昇給していたといいます。そりゃ、数%の消費増税なんて気になりませんよね。

今の時代、お金が無いため長時間、共働きせざるを得なくなり、家族で過ごす時間が足りなくなります。つまり、「お金」が足りないのです。「少子化対策に子ども一人に1000万円配るべき」と、珍しく西村博之氏が正しい主張をしています。同氏は緊縮的な主張が多かったことからあまり好きではないのですが、なぜか「国債をバンバン刷って配ればよい」と正論を言っています。同時期の記事に、「国債をいくらでも発行していいって言ってる奴はバカ」なんて言っているので、口先だけの思い付き発言かもしれませんが。

つまりぼくが言いたいのは、「うちに3000万円くれ」ということです。それだけお金が入っても贅沢はしません。きっと学資保険を増額したり、子どもの教育費を増やしたり、子どもへの投資に使う金額が増えるぐらいです。ほとんどの子育て世代がそうではないでしょうか。確かに自分たちが贅沢したり、働かずパチンコなどギャンブルに費やしたりする馬鹿親もいるでしょう。でも、国全体の成長を見据えた投資として、多少の無駄遣いには目をつむりましょう。子育て世代の消費が増えると、日本全体の経済も潤うはずです。それだけラジカルな策を講じないと、少子化を止めることは不可能ではないでしょうか?

まとめ

実は個人的には、少子化がそれほど悪いことだとは思っていません。西村氏もそうですが、多くの識者が少子化が経済成長の足かせになるとの理由から問題だと考えています。しかし少子化と経済成長は、それほど大きな相関性はないと思います。若者が少なくなっても、テクノロジーの発達でこれまでの生産力の維持、強化は可能で、お金さえあれば消費だって増やします。子どもを産まない選択肢だって受け入れられるべきです。ただ、生みたいけどお金や社会的な要因で控えるような状態はまずい、と思います。ほとんどの問題は、誤った緊縮が作り出していると感じます。

まさか西村氏から、「国債をバンバン発行すればいい」なんて言葉を聞けるとは思いませんでした。もしかして、西村氏もMMT(現代貨幣理論)へ徐々にシフトしてきたのかもしれません。ぼくにとって、MMTを知れば社会が一変する可能性を感じさせる記事でした。