不寛容になってしまった日本社会。命や生活よりお金が大切なのか?

2019年8月2日

8月1日、れいわ新選組から参議院議員戦に出馬し当選した、重度の身体障害のある舩後靖彦氏と木村英子氏が大型の車いすで初登院しました。英国BBCでも報道されており、世界からも関心を集めています。ツイッターの反応では、好意的な反応が多いようです。

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日本では、介助費用を誰が負担すべきなのか議論が起きています。個人的には国が負担するのが当然で、議論は必要ないと考えますが、「限られた税が財源」だと考えると、「無駄使い」との印象を受けるのでしょう。でも、それも仕方のないことかもしれません。

政府予算にはシーリング(上限)がかけられ、どこかがオーバーすれば、どこかを削らなければいけないゼロサム思考が蔓延っているからです。実際には、政府は国債や通貨発行ができるので財源に限度はないのですが、法律で自ら制限をかけています。

そんな社会システムでは、民間だけでなく政府までも節約志向になってしまうのは仕方がありません。「財源がない」と言えば、あらゆることを諦めてしまわなければならない社会なのです。そんな社会を変えようと立ち上げられたのが、れいわ新選組です。

社会を変えるのは特に難しいことではありません。民意で法律を変える議員を送り込めばいいのです。米国では同じく8月1日、債務上限の引き上げが決定しました。

必要であれば、いわゆる「国の借金」を増やせばいいのです。問題なのは国の借金の多さではなく、国の借金を理由にあらゆることができない社会になってしまうことですから。

まとめ

今回の件でも、日本人って不寛容になったなあって感じます。しかもそのことに無自覚、不感症になっています。多くの人にとって、単なる手段でしかない「お金」が、命や生活より優先すべきものになっているのではないでしょうか?