日航機墜落事故の陰謀論について。説得力はあるが決定的な証拠不足

昨日の8月12日で、日本航空123便墜落事故が起きて34年目を迎えました。1985年(昭和60年)8月12日、羽田空港発、伊丹空港行のJAL123便が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)へ墜落しました。乗客乗員524名のうち、520名が死亡する大惨事となりました。

原因はボーイング社の不適切な修理とされ、機体の後部圧力隔壁が飛行中に破損し、垂直尾翼と補助動力装置が脱落、油圧操縦システムも全喪失しました。破損後、完全に操縦不能に陥りながら32分間、パイロットは墜落までの32分間、必死に羽田か横田基地への緊急着陸を試みようとします。その様子が聞けるボイスレコーダーは、YouTubeにアップされています。

墜落後、約2時間で米軍が現場上空に到着しましたが、本格的な夜間救難装備がないことなどを理由に、救難員が降下しての救助活動は行われませんでした。現場では救助の準備をしていたのに、日本側から許可が出なかったとの情報もあります。

その後、墜落場所の特定などで迷走が続き、結局、救助が始まったのは翌朝の8時30分ごろで、墜落から14時間経過していました。4人の生存者の証言で、墜落後は数名の声が聞こえていたことが分かり、救助の遅れが被害を拡大したようです。

日本航空123便墜落事故については、さまざまな陰謀論がささやかれています。そのひとつが、自衛隊の演習で使われていた無人標的機が、誤って衝突したというものです。ボイスレコーダーの音声(0:16あたり)に出てくる、意味がはっきりとしない「オールエンジン(ボディギアの説も)」が、実は自衛隊の軍事演習用マシンの俗称「オレンジエア」のことではないかと推測しています。

事実関係の発覚を回避するために着陸が阻止され、群馬県山腹に誘導された疑いがあるとのことです。救助の遅れも、わざと遅らせることで生存者を減らしたとされ、さらに自衛隊がいち早く現場に到着し、生存者の口封じのために火炎放射器などで殺害したと陰謀論は主張します。

この陰謀論が広く信じられるのは、家族を事故で失った小田周二氏の『524人の命乞い』や、元日航客室乗務員、青山透子氏の『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』が大きく影響しています。状況証拠を積み重ね、ストーリーとして説得力のあるものに仕上がってるからです。

しかしあくまでも状況証拠の積み重ねなので、それを「真実」として多くの人が信じる根拠にはならないと個人的には感じています。もし本当に自衛隊による誤射があったとして、自衛隊や関係者すべてにかん口令を敷くのは無理な話ではないでしょうか。

また他の陰謀論として、日本版OSとして開発中だったTRONの技術者17名を殺害するのが目的だったというものもあります。米国当局がTRONが米国版OSに先駆けて普及するのを脅威に感じていたというのですが、さすがにこれは無理筋ではないでしょうか。一応調べてみましたが、ネットでは「日航機事故でTRONの技術者17名死亡」との情報は個人ブログなどではありますが、信頼できる大手メディなどからのソースとしての情報は見つかりませんでした。またTRONプロジェクトは現在も継続中で、日航機事故が原因でとん挫したり、遅れたりしたとの情報もありません。

個人的に数時間調べただけなので、情熱と人生をかけて調べてきた人たちのいわゆる「陰謀論」を否定するつもりはありませんが、やはり個人的には「陰謀論」どまりだとの印象を受けます。

まとめ

日航機墜落事故の現場写真や証言に改めて触れると、想像を超える悲惨さに衝撃を受けます。現場に入った記者たちも、戦争よりも凄惨な現場だっとといい、みな泣きながら写真撮影をしていたそうです。陰謀論の根拠のひとつとされる、1986年の自衛隊員の自殺者が相次いだのも、あまりに衝撃的な現場のトラウマに耐えられなかったのかもしれません。

また、自衛隊を首謀者とする陰謀論には、日本特有の軍隊や国家に対するアレルギーも関係しているような気がします。事の真相は分かりませんが、日本航空123便墜落事故を巡る混乱は、あらゆる日本の病癖を表面化しているように感じます。