勝手に被害者の気持ちを忖度し、敵を求め攻撃する人たちの欺瞞

35名の犠牲者を出した京アニ放火事件は、犠牲者の実名を報道するかどうかで大きな議論を巻き起こしました。一部の犠牲者の家族が実名報道を拒否していたため、世間では「家族の希望を尊重すべき」との論調が強かったように思います。しかしここにきて、「(名前の)公表は当然」と考える遺族の声がとりあげられるようになってきています。

実名報道を巡っては、有志が京アニ犠牲者の身元公表を求めない署名活動を立ち上げ約1万5000人の署名を集めたり、とあるメンタリストが動画でマスコミを批判して大きな反響を呼んだり、部外者の動きが目立ちました。しかしその動きは、本当に被害者家族のためになったのでしょうか?少なくとも、記事に登場する遺族の「全員の実名の公表は当然だ」との声を、完全に無視した動きだったことは確実です。

京都府警は8月27日、犠牲者すべての実名を公表しました。それを受け一部のメディアを除き、大手マスメディアは実名と写真を一斉に報じました。ツイッターでは、それに対し「実名報道は悪」と決めつけ、マスコミを一斉攻撃する論調一色に染まりました。その時感じた違和感は、8月31日のブログに記しています。

京アニ被害者の実名報道を巡る議論。マスコミの取材手法とは別の話

その時指摘したのが、「○○○○〇さんは実名報道と、メディアの心無い取材を同列に批判していますが、それぞれ分けて考えるべきだと思います。」ということです。冒頭の記事でも、遺族は“「公表」と「取材」は別”と述べています。遺族は実名報道に反対していると担当弁護士は主張していましたが、その反対には「公表」と「取材」が一緒くたになっていたのではと推測します。

個人的な意見ですが、何も落ち度のない被害者が名前を伏せなければならない理由が全く分かりません。しかしそこに「取材」が絡んでくると、実名報道に躊躇する心境になるのも理解できます。その辺りの認識の違いが、遺族の意向とは別の騒動を招いたのではないでしょうか。

実名報道に反対している部外者は、以下のような遺族の意見があることについても考えて欲しいと思います。

「もちろん私にも、そっとしておいてほしいという気持ちはあります。でも幸恵を悼むのは私たち家族だけではありません。幸恵の友人も、そして面識はないけれど、アニメファンの方々もそうではないでしょうか。献花台には毎日そうしたたくさんのファンの方々が訪れてくださった。見知らぬ方々まで幸恵を悼んでくださった。しかし、実名が公表されなければ何を拝むことになるのでしょう。匿名の誰かに花を手向けることなんて出来ないですよね」

 

まとめ

この件に関しては、外野が実名報道に対してまるで遺族の代表であるかのように抗議する姿に異様さを感じました。抗議する本人たちは、「反対する遺族、それを押し切るマスコミ」というシンプルな構図があることから、遺族の立場に立った気になり、安心してマスコミを叩いていたのではないでしょうか。

それが一部の遺族の気持ちを無視した行動である可能性を、ちょっとでも考えて欲しかったと感じます。そして、問題の本質は実名報道ではなく、その実名報道によってもたらされる「無神経な取材」にあると思います。当事者でない人たちが抗議すべきは、「実名報道するマスコミ」ではなく、「遺族の気持ちを無視した取材」だったのではないでしょうか。