競争を避けてもいいじゃないか。どんな個性でも認められる理想社会

本日は早朝から、息子(中二)のバスケの練習試合に付き添いました。2年後に消滅がほぼ決定している過疎地の中学校なので、男子バスケ部は6人しかいません。いつもいつもボロボロに負けている彼らですが、弱いながらよく頑張っていると思います。

ぼくが中学校時代は、「キャプテン翼」の影響でサッカー部に所属していました。多くの部員間での競争や、先輩からの理不尽な要求に嫌気が差し、1年で早々と止めてしまいました。その後は団体競技は避け、個人種目が多い陸上部に入りました。

そんな競争や(望まない)努力嫌いの性格からか、就職してからも1年~3年で転職を繰り返すフラフラした生活を送っていました。それでも無意味に転職をしていた訳ではなく、好きな英語のスキル向上を最優先に職種を選んでいました。ようやく30代になり、英語を活かした仕事に従事するようになったのですが、中途採用の給料の安さ、わずらわしい人間関係に嫌気が差し会社員として働くことを断念しました。

日本社会ではぼくのような働き方は負け組とされ、学校教育では「良きサラリーマン生活」が送れるような教育を叩きこまれます。クラブ活動もその一環で、「苦しくても努力を継続することで勝利を得られる」ことが教え込まれます。そんな教えを守り、礼儀正しく、バスケに真剣に取り組む他校の子どもたちを見て眩しく感じます。きっと彼らは、サラリーマンとして、または経営者として成功していくのでしょう。

しかし、ぼくの遺伝子を引き継ぐ息子なので、競争社会でのし上がるのは厳しいと感じています。バスケの競り合いになると相手に気圧され、相手にぶつかってでもボールを奪う気迫に欠けます。コーチからは「もっと強くいけ」との声が飛びますが、性格上どうしても無理なのではと思ってしまいます。

そんな息子ですが、文句も言わず日々のクラブ活動を頑張っており、我が子ながら感心しています。また同級生たちと良好な関係を築いており、敬老会で団体でダンスを披露したり、ゴミ拾いボランティアに参加したり、地域活動に積極的に参加する一面もあります。

ぼくのこれまでの仕事体験では、今の社会は体育会系の競争意識が個人の評価を大きく左右していると感じます。声が大きく、他人に強く出られる人が幅を利かす。そんな社会では、どうしても競争が苦手な人は社会からはじき出されてしまいます。

ぼくは幸運にも、競争を避けて生きる術を何とか身につけてきました。競争が成長を促すことは否定しませんが、競争が苦手は人でも受け入れらる社会への転換が必要なのでは、とぼろ負けする息子のチームを観ながら考えていました。