ハイパーインフレからドッジ・ラインの均衡財政でデフレ化した日本

年末年始にサザエさんの原作を読んでいました。敗戦後の復興期に、庶民がどのような生活をしていたのかがユーモアに描かれ、とても興味深いです。当時の世相や事件を知っていないと理解できないものもあり、以下の作品もそのひとつです。

サザエさんが新聞を見ながら、「デフレ経済のゆくえは・・・」とつぶやきます。1954年(昭和29年)8月9日付けの朝日新聞に掲載されたもので、「当時はデフレだったの?」と素朴な疑問が浮かびました。そこで、戦後からの消費者物価指数を調べると、1954年は上昇率5.9%と特に低いわけではありません。

                (消費者物価指数)  (上昇率)


敗戦直後1947年の上昇率は125.3%で、いわゆる「ハイパーインフレ」を体験した世代にとって、10%未満はデフレに感じるのかもしれません。もしくは、1953年に朝鮮戦争の特需が終わり、その反動で一時的に停滞感があったのかもしれません。いずれにせよ、1955年から日本経済は成長期に入り、5%前後の理想的なマイルドインフレで推移することになります。

それにしても、1950年の-4.5%とは一体どうしたことでしょう?実は1949年、GHQ占領期にデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが、立案、勧告したドッジ・ラインと呼ばれる財政金融引き締め政策により、日本経済は一気にデフレに突入したのです。それまでは戦後復興のため、財政赤字の拡大と日銀の国債引き受けにより市場に大量のお金を回していたことも一因で、過度なインフレになっていました。そんな中、財政赤字を許さないドッジ・ラインを強行したわけですから、一気に景気は冷え込みデフレになります。

「日本経済の自立と安定のため」との名目ですが、中小企業を中心に倒産が相次ぎ、失業者が大量に発生します。その後、朝鮮戦争の特需をきっかけに高度成長に入ることから、ドッジ・ラインは悪性インフレを退治したとして評価されています。しかし、あまりにもラジカルなデフレ政策だったことから、個人的には日本の工業国化を防ぐための内政干渉だったのではとみています。それでも、早い段階で朝鮮戦争が勃発し、アメリカが民主主義陣営としての日本の重要さに気付いたことは幸運でした。結果、アメリカの同盟国として、日本の経済大国化が容認されることになったのですから。もっと早く気付いていれば、日米が戦争しなくても済んでいたのでしょうが。

このように、緊縮財政が国民経済に及ぼす影響は大きなものです。日本の緊縮政策が進められる理由のひとつとして、「戦後のように財政赤字の拡大でハイパーインフレになる」というものがあります。そんな主張をする人たちでも、「当時とは状況は違いますが」と前置きします。しかし、その状況が現在と戦後ではあまりにも違いすぎます。

例えば生産力ひとつをとっても、戦後は「戦争で約300万人の死者を出し、建物は約25%を失い、生産機械を35%を失い、船舶の80%を失った。戦争による生産設備の破壊により民間の生産力が回復しておらず・・・(Wikipediaより)」といった状況です。モノ不足とモノ余りの違いは大きく、インフレ率にモロに影響を与えます。「財政赤字が大きいからハイパーインフレ」と、お金の量を主な理由にする説明では説得力に欠けます。むしろ現在は、「デフレ(モノ余り)だから、もっと財政赤字が必要」という状況のはずです。

ちなみに、4コマ漫画に出てくる「やっぱり、おおつとやまがた」も、多くの現代人には説明が必要でしょう。

1954年6月、保安庁(現・防衛省)技術研究所会計係長夫婦が銃で武装した一味に脅され、約1900万円分の小切手などを奪われるカービン銃ギャング事件が発生しました。その主犯大津健一は元警察予備隊(現・自衛隊)員で、五輪選手級の腕前だったといいます。また、大津の余罪が次々と明るみになり、熱海の貸金業を殺害した事件の共犯が山県(山形)源太郎で、当時の紙面を賑わせていたとのことです。

大津健一は某国立大経済学部出身らしく、この人物にも興味が湧きます。サザエさんの漫画から、色々調べ物をしているうちに正月休みも終わってしまいそうです。