単純作業が与える拷問レベルの苦痛。意味や達成感を得られるかが鍵

2020年の最終日は配達がないため、製造現場に回されました。何となく「嫌だなあ」と思っていた作業が、「もう二度としない」と思わせるほど苦痛であることを再認識しました。

もともと単純作業への耐性は低く、若かりし頃高給に釣られてやったバイトでは、ひたすら流れてくる電子部品のはんだ付けが苦痛で仕方ありませんでした。周りは女性ばかりで、よくこんな作業に耐えられるものだと感心したものです。

年末に手伝った作業は4人チームでやっていて、男性のリーダーは何年も、来る日も来る日もこの作業に従事しています。無駄な動きは一切なく、嫌な顔ひとつも見せず淡々と作業をこなします。顔は仏のような穏やかさで、一体どんな心理状況なのか興味があります。

そもそも人は単純作業には向いておらず、無意味な単純作業を繰り返させる拷問もあったほどです。単純作業に苦痛を感じるのは、脳の働きに関係しているそうです。脳は快を求めています。快とは、意味のあること、何かを達成することで得られます。単純作業からは得られにくい感覚なのです。

言い換えれば、その作業に意味や達成感を見いだせれば苦痛でなくなることになります。文句ひとつもいわず作業ができる人たちは、何かしらの解を持っているのかもしれません。ぼくは作業に筋トレの意味を与えようとしましたが、10分と続きませんでした。

単純作業は簡単でも、誰もが長期でできる仕事ではありません。それでも作業自体の難易度が低いため低時給になりがちで、それでは人が集まらないのは当然です。それなのに作業の負担を減らすような対策や、待遇改善をしようとしない会社は怠慢と言わざるを得ません。製造部長は、「あいつ暇だからやらせればいいや」と考えているのでしょう。そんな軽い気持ちで、拷問レベルの苦痛を味わわされてはたまったものではありません。